日本基督教団 浪江・小高伝道所

小高伝道所

教団=日本基督教団
東北教区
相双・宮城南地区
設立年=1903年
代務牧師=飯島信
教会員数=1名
住所=979-2124 福島県南相馬市小高区本町1-47
常磐線小高駅より徒歩5分

震災後の歩み

準備中

信徒メッセージ

『東日本大震災から10年』
もう10年になるのですね。
 思い出したくないつらい震災と原発事故、とんでもないことが起きてしまい、コロナ禍といい恐ろしいことです。それでも生きていかなくてはならない厳しさをつくづく思い知らされます。
小高伝道所は東北の小さな町、小高にあり、創立は1903年、今年で118年になります。幼稚園も80年の歴史があります。教会員は5人、礼拝出席者は7人と少なく、園児も少なく、それでもこれから先、小高の灯(ともしび)となり、孫・ひ孫の代へ永遠に引き継がれるものと信じておりました。
2011年3月11日三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の大地震が発生、最大震度7の国内最大級の地震、続いて原発事故による避難指示が出され、全町民が慌ただしく隣町の体育館や知人、親せき宅に避難しました。
伝道所の方々も散らされ、皆さんその地にあって信仰生活を守っておられます。「小高伝道所は同じあの場所にしっかり建っておりますから、いつでも戻ってきてください」の思いでいっぱいです。
避難指示が出され、でも誰もがすぐに戻れるとばかり思い、身の回りのものだけ持ち、私も指示の2時間後には家を出ました。近所の人たちは、既に避難をしたらしく、家々の灯りは消え、真っ暗な中を車を走らせ、いわき市の娘の家へ向かい、やっと翌朝たどり着きました。
が、いわき市も断水で給水所に長蛇の列、10時間並び水をもらいました。水のありがたさが身に沁みました。食料も不足しましたので3日後には埼玉の親せきに、その後何度も転々としました。皆様によくしてもらい助けられ、お世話になりました。
小高伝道所は東京電力の事故により20キロ圏内でしたので2016年7月まで帰還困難区域になり、約1年間は立ち入り禁止区域でした。そのため、主日礼拝も諸活動も付属幼稚園の働きもすべて中断されました。
立ち入り禁止が解除された2012年12月、クリスマス礼拝を守ることができました。教区議長の保科隆牧師には大変お骨折りいただき、あきらめかけておりましたのに遠い仙台東一番丁教会から、そして次の任地福島教会からもおいで下さり、約10年もの間ご熱心にご指導いただき感謝です。年1回のクリスマス礼拝は、東北教区、相双・宮城南地区の協力により、牧師と信徒の方々20人ほどで、多い時には31人で礼拝堂がいっぱいになり守ることができました。
そして月1回聖日礼拝も守ることができるようになりました。実に8年ぶりの再開です。2019年1月から第4週の午後3時から。説教者は代務の保科牧師と主に地区の牧師方です。多いときは21人、今はコロナ禍で7人ほどです。
聖日の朝ご自分の教会で礼拝を守り、午後3時の小高伝道所の礼拝においでいただくのはお忙しいでしょうしお疲れでしょうと、大変な中をありがたく思います。ご一緒に礼拝を守ることができ、感謝でございます。励まされております。
 全国の教会の皆様から心のこもった支援物資、尊い献金、熱いお祈りをいただき、元気をもらい励まされております。
 今、小高の人口は4,000人。震災前は1万3,000人でした。0歳から5歳まで通うこども園は、46人、小学校は全生徒46人、産業技術高校は493人(内30人は小高の生徒です)。4,000人のうち半分の2,000人は65歳以上です。町のあちこちに更地が多く、淋しくなります。
 残念ながら付属幼稚園は廃園となり、近く取り壊されます。
 牧師館は傷み始めましたので、リフォームが2月から開始され、3月末には終わります。
 私の家は小高駅から3㎞の所にあり、隣組15軒のうち帰還は5軒で10軒は他の所に家を建てて戻っては来ません。隣も前の家も解体され更地になり、静まり返っております。私はいわき市の娘の所にまだ居候しております。いわき市に一人暮らしの94歳の姉がおり、また夫の姉も94歳で、身の回りの世話の手伝いをもう少ししてから、ゆくゆくは小高へ戻りたいと思っております。
 震災の3年後の5月、我が家に男の子の孫が授かりました。わんぱくで人なつっこく元気に育ち、小高が大好きで4月には1年生になります。
 皆様の上に豊かな御祝福がありますようお祈りいたします。
(さくま きみこ)
~ 日本キリスト教団 全国教会婦人会連合 教会婦人2021年4月1日号 掲載記事より ~

小高伝道所の歴史

準備中

小高教会幼稚園

小高町で唯一の68年の歴史を持つ私立幼稚園が震災当日まで運営されていました。園舎は3.11を境に時が止まり閉園となりました。卒園生の多くは町に貢献しています。