日本基督教団 浪江・小高伝道所

公開説教

「羊飼いに告げ知らされた喜び」 2021/12月第4週 説教より

聖書:旧約 イザヤ書60:1-2(旧p1159),イザヤ書11:1-10(旧p1078),ミカ書5:1-3(旧p1454)
新約 ルカによる福音書2:8-20(p103)
今日は。 私は、現在は東京の立川教会の牧師で、来年4月からこの教会に赴任する予定の飯島信です。宜しくお願い致します。 今日は、初めて教会にいらした方もおられると思います。心から歓迎致します。 教会の暦では昨日がクリスマスですが、この教会では、一日遅れのクリスマス礼拝を行います。コロナによる試練の中で、それでも、今日このようにして、共にクリスマス礼拝を行うことが出来る幸いを、神様に感謝いたします。 ところで、イエス様がお生まれになったベツレヘムと言うのは、イスラエルの首都エルサレムから南に8キロほど下った小さな村です。その村の旅人を泊める宿泊所の部屋ではなく、その家で飼われている動物たちが過ごす家畜小屋でイエス様はお生まれになりました。客室はどの部屋もすでに満室で、イエス様の一行は客間に泊まることが出来ませんでした。 そして、今お読みしたように、夜通し羊の番をしている羊飼いの所へ、イエス様誕生の知らせが届けられます。 私たちの救い主としてお生まれになった主イエス・キリストとは、一体どのようなお方なのか、イエス様の誕生を巡ってルカが記したこの場面に、そのことを知る手掛かりが記されています。小さな鄙びた村であるベツレヘム、お生まれになった家畜小屋、そして、誕生の知らせを真っ先に聞いた羊飼い、これらの出来事に心を留めながら、イエス様とはどのような方かをご一緒に知りたいと思います。 イエス様を知る手がかりの第1は、ベツレヘムです。ベツレヘムは、ユダヤの中心であり、荘厳な神殿のあるエルサレムから見れば、取るに足りない小さな村でした。しかし、この村は、イスラエルの最も偉大な王としてその名を歴史に残すダビデとその一族の誕生の地でもありました。小さな村ではあるけれど、王家に由来があり、将来の第二のダビデがここから現れるとの信仰を人々は抱いていました。父ヨセフがダビデの家系であったことから、そのような人々の願いのある村でイエス様はお生まれになります。 イエス様を知る第2の手がかり。それは家畜小屋です。 どのような人であっても、この世に新しい命が生まれるその時は、柔らかなベッド、温かな布団、慈しみに満ちた母親の眼差しに見守られながらの時です。しかし、イエス様には、新しい命に相応しい環境は与えられませんでした。生まれて寝かせられた場所は、柔らかなベッドとはほど遠い、固いごつごつとした飼い葉桶でした。しかし、そのイエス様を見つめる母マリアと父ヨセフの眼差しは、確かな愛と喜びに満ちたものでした。乏しき環境の極みに身を置きつつも、無事に出産を終え、新しく生まれたその命は、マリアとヨセフの神様への感謝と喜びに包まれていました。 第3の手がかり、それは羊飼いです。 当時、羊飼いは、羊と山羊を食料と水のあるところに連れて行き、一頭一頭を良く知り、昼夜を分かたず番をしていました。彼らは、群れを離れた羊や山羊を捕まえるための杖を持ち歩き、又木で作った棍棒を武器として携帯していました。夜になると石を積み重ねた囲いの中に羊と山羊を分けて入れますが、盗人や野獣、当時は、ライオン、豹、熊、オオカミ、ハイエナやジャッカル、さらに蛇やさそりなどに襲われる危険に常にさらされていました。羊や山羊が盗まれた場合、羊飼いは、盗まれた羊や山羊を売るのと同じ額を持ち主に払わなければならず、又野獣に襲われた時は、その証拠を持ち主に提示しなければなりませんでした。 そうした羊飼いたちにとって、ユダヤ社会を根本から律していた掟、特にモーセに示された十戒の中でも最も重要な掟である安息日に関するもの、即ち「安息日を守ってこれを聖別せよ。あなたの神、主が命じられたとおりに。6日の間働いて、何であれあなたの仕事をし、7日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。」(p289)この掟を、守ることは出来ませんでした。もし守れば、羊や山羊を危害から防ぐことが出来ず、職務を放棄することになるからです。 そのような羊飼いたちにとって、信仰深ければ深いほど、律法とは、己に罪の自覚を起させる以外の何物でもありませんでした。守ろうにも守る事の出来ない現実に慄(おのの)き、苛(さいな)まれ、救いを見出すことの出来ない日々を送っていたのです。現に、彼らは、人々からは蔑まれ、社会の周辺に追いやられた見捨てられた人々でした。 その野宿をし、夜通し羊の群れの番をしていた羊飼いたちに、イエス様誕生の知らせが届きます。誰よりも先に、人々が待ちに待っていた救い主誕生の知らせがです。ユダヤ社会の支配階級である祭司長、律法学者、議員たちではなく、最も打ち捨てられた者として存在していた羊飼いに、イエス様の誕生が知らされました。 私は、以上述べた3つの手がかりによって、主イエス・キリストとは私たちにとってどのようなお方であるのか、言葉を換えて言えば、誰にとって、どのような意味を持ってお生まれになったお方であるのかを知ることが出来ると思います。 第一に、イエス様は、慰めと救いを最も必要としている人々に与えられることです。 人生における躓(つまず)き、挫折、悲しみ、絶望のただ中にある人々にです。 罪の自覚が深ければ深いほど、イエス様に赦されてあることへの感謝と喜びは深くなります。 第二に、どれだけ劣悪な環境に身を置こうとも、イエス様の眼差しは自分に注がれていることです。たとえ、泥沼のような人生の道を歩んでいようとも、ふと目を上げれば、イエス様の眼差しが自分に注がれ、自分の進むべき道を示して下さっていることに気づきます。 そして、第三に、イエス様の後に従って歩む時、私たちは、神の国に招かれていることです。死を打ち破る復活に与り、神の国に入れられることです。 私にとって、私たちにとって、イエス様とはそのようなお方であり、明日、そのお方が私たち一人ひとりに神様からの贈り物として与えられます。 誰のためでもない、この私のために、贈られるのです。 このことに関連して、短く、私の経験からお話ししたいと思います。 皆さんは、人生の挫折を経験されたことがあるでしょうか? 恐らく、小さな挫折、大きな挫折など、一度は経験されたことがあると思います。 私も幾度かあります。 その中でも最大の挫折がありました。 ある仕事に就いたものの、任期途中でその任を終えなければならなかった時です。 詳しく述べることは出来ませんが、人生の中で最も困難な時、しかし、友は与えられました。最後まで私と共に歩んでくれた友たちがいました。そして古くからの友人であった弁護士が私を支えてくれました。 お話ししたいのはその後のことです。 任期途中でその任を終えてから、1年半、土日は牧師としての務めを果たしながら、平日は高齢者施設の介護職員として働きました。そして夜勤を終えたある日、牧師室のソファーに座って疲れた身体を休めていたその時でした。私の携帯が鳴りました。私を最後まで支えてくれた一人の友からの電話で、新たな職場の紹介でした。その結果、介護職員としての日々は終わり、それから5年にわたって、私が心から望んでいた働きに従事することが出来ました。 私は、救い主誕生の知らせを聞いた羊飼いたちの喜びが分かるように思います。 それは、赦しの知らせです。 安息日を守ることが出来ず、罪に苛まれていた羊飼いたちに、律法の囚われからの解放の知らせです。イエス様は、あなた方を律法の囚われから解放するためにお生まれになったのだと。仕事の故に安息日を守ることは出来なくても、罪に苛まれずとも良いのだとの知らせです。 救いは、突然、神様から贈られます。 新たな希望を伴ってです。 どんなに惨めな、救い難い現実に生きていようとも、イエス様は必ず私たちの歩みに目を留めておられます。そして、俯(うつむ)いた私たちの顔が上がり、真っ直ぐにイエス様を見つめ直す時が来るのを待っておられます。 何故なら、そのために、神様はイエス様を私たちに贈って下さったのですから。 救いは、すぐそこまで来ています。 祈りましょう。

「小高伝道所創立118年を迎えて」 2021/11月第4週 説教より

聖書:ヨハネによる福音書15章1節~10節(新約198頁)

アドベントを迎え、第一の蝋燭が灯りました。
小高伝道所のクリスマス礼拝は、12月26日(日)、午後3時からを予定しています。
礼拝が再開されてから3度目のクリスマスになるのでしょうか。
主イエス・キリストのご降誕を感謝し、神様がイエス様を私たちに与えて下さったその恵みを、心に深く刻む時としたいと思います。

昨晩は、夜7時を過ぎてから小高に着きました。駅舎を始め、通りの両側は電飾で飾られ、特に小高ふれあい広場に立つ建物は、建物全体が屋根までびっしりと電飾で覆われているのに驚きました。
ところで、アドベントに入った今日ですが、改めて小高伝道所の歴史に想いを馳せたいと思います。

先月、牧師館でただ一室片付いていない部屋があり、東京から来た若い友人たちの力を借りながら片づけを終えたのですが(外に出した本箱や書類などの園舎への運び入れ、有り難うございました。一人では何も出来なくても、ここにいらっしゃる皆さんの力を合わせれば、アッと言う間に運び入れが終わり、心打たれる思いがしました)、その時、かねてから佐久間さんから言われていた『小高伝道所 創立100年史』を見つけることが出来ました。50頁余りの記念誌ですが、その1頁、1頁に目を通す時、この伝道所の歴史が鮮やかに蘇るのを覚えました。
この教会は、今年で創立118年を迎えていますが、小高・原町への伝道の歴史はさらに遡り、1893(明治26)年との記録があります。今から128年前です。又、1900年には寺田先生の原町に講義所が設立され、翌1901年に、この小高の地で定期集会が始まります。初代の梶原長八郎牧師が中心となり、シュネーダー宣教師と2代目の土田熊治牧師がそれを助けたとの記録がありました。
つまり、小高の地で実質的に福音の種が蒔かれてから、今年で120年を迎えています。その間17名の牧師がこの教会で伝道の任を負い、その中で、10年を越えて牧会された方が3人、4代目の杉山元次郎牧師、11代目の佐藤仁牧師、16代目の安西貞子牧師であることを知りました。
佐藤牧師が書かれた文章からは、この教会が盛んであった時の様子、1964~1970年の7年間、毎年行われた相双5教会連合の4泊5日の子ども会キャンプで、参加者40名の内、小高からは20名が参加していたことを知りました。安西牧師の文章からは、小高伝道の困難さや、乗り越えなければならない課題、又恵まれていた時代の幼稚園の様子などを知ることが出来ました。
読み終えて、神様は、小高に大切な一人の信徒を留めて置いて下さったことを思います。もし、佐久間さんがいわきに避難したままで、小高での礼拝再開の務めを負って下さらなかったら、この教会に礼拝の明りが灯ることは難しかったのではないかと思いました。3・11以来8年目に灯ったその明りは、保科先生代務のもとで、原町教会、中村教会、福島教会、名取教会など近隣の教会の牧師先生や信徒の方々の応援によって守られています。この明りを灯し続けることを神様は命ぜられている。『小高伝道所 創立100年史』によって、改めてそのことを思わせられました。

ところで、掲載された中から、一人の方の文章をご紹介したいと思います。近藤正子さんです。この教会に導かれ、イエス様の救いに与った証しです。

「聖名を讃美、創立100年への感謝」
近藤正子
小高教会100年の歴史について一言私の思いを述べてみたいと思います。
かえりみますと、私が小学1年生の時でした。友達が日曜学校へ行くのがうらやましくて、よく後から付いて行ったものでした。でも、教会の玄関まで行くと、献金を持ってこない人はだめと言ってドアを閉めてしまうのです。それが悲しくて悲しくて、以来教会とかイエスさまとかの話が出た時は耳を塞いで我慢しました。いつか大人になったら自由に行けるかもしれないと思っていました。でも大人になるまでには、戦争もあったし、私の結婚もありました。いつのまにかイエス様などすっかり忘れておりました。しかし、イエス様は忘れてはいませんでした。3人の子供たちと、その子たちの子供(私の孫)とを教会幼稚園に送り迎えすることにより、いつの間にか教会に近づけられていました。
その孫も大きくなってしまいましたので、これからは自分の時間が沢山持てるようになると思い、それがどんなにか楽しいものかと思っていましたが、とんでもないことでした。することがないということほどつまらなくて空しいものはないのです。体の置き場がないというのか、自分がもぬけの殻になったようで、どうしようもなくなった時、ついにふらふらと迷う野良犬のように小高教会へ入り込んだのです。しかもその日はイースターと言う記念すべき大切な日でもありました。この時ほど、イエス様は私を忘れてはいなかったと感じた日はありませんでした。「続けてお出でください」といわれ、その通りにしました。以来日曜礼拝と聖書研究会は楽しくて、面白くて休めませんでした。あれほど難解だった聖書も慣れるに従って面白くなって来ました。
それにも増して感謝なのは、この地に生を受けて76年の間、苦しいこともありましたが、それよりも沢山の恵みを受けて導かれて来たということを知ったことでした。この恵みの膨大さにただ驚くばかりです。これから先も子々孫々にいたるまでその恵みに預からなければならないことを知った時、さあ、この神の愛に何として応えようかと考えさせられました。いや、こうしてイエス様につながって、また教会につながっていることこそが、私に出来るイエス様への一番の奉仕ではないかと思うようになりました。それで、安心して今までの愛は受けっぱなしと決めてしまいました。・・・12月24日のクリスマスは私の受洗記念日でもあります。いつ思い出しても、あの受洗の日の感動は、涙のあふれるばかりです。これから先も忘れることはないと思いますが、何と、小学1年生でイエス様に憧れてから受洗までの60年間、取るに足らない私を待っていてくださったイエス様の、この忍耐強さと大らかさにはただただ頭が下がるばかりです。しかもその間も、絶えず恵みを注ぎ続けてくださいました。・・・神様の計り知れない遠大なご計画と思い、ただ驚きと感謝でいっぱいです。

  この他、佐藤貴裕さんの受洗の喜び、佐久間喜美子さんの証しも載っています。私は、これらの方の文章を読み、それぞれが教会を離れた時があることを知りました。でも、近藤さんが記されているように、イエス様は近藤さんを、佐藤さんを、佐久間さんを忘れていなかったとの言葉はその通りだと思いました。今日与えられた聖書の御言葉との関わりで言えば、小高伝道所は、イエス様によって命が与えられた葡萄の幹であり、教会員はその枝です。この幹にしっかり繋がり、イエス様が命じられた戒めを守ることによって、私たちはイエス様の愛の内に留まっています。
イエス様が命じられた戒めは二つです。
第一は、神様を愛することです。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、即ち全身全霊をもって神様を愛し、礼拝を捧げることです。
第二は、隣人を愛することです。隣人を愛するとは、良きサマリヤ人の譬え(ルカによる福音書10章25~37節 p126)にあるように、弱くされ、助けを必要とする人の隣り人になることです。

100年史を読み、少しだけ見えて来たことがあります。小高の地での伝道は、相双地区に建てられた5つの教会・伝道所の協働の業によって進められて来たことです。年表に記された牧師の働きを見ますと、原町教会を中心として、小高伝道所や浪江伝道所との協働、又鹿島栄光教会との協働が記されています。それに、中村教会を交えた5つの教会が力を合わせてこそ、この小高の地での伝道が前に進むことを知りました。
イエス様が命じられている二つの戒めを守り、この地に生きる人々に受け止められ、受け入れられて行く歩みが求められています。すでに伝道を始められている寺田先生ご夫妻や内藤先生のアドバイスを受けながら、地に足のついた取り組みを始めることが出来ればと思います。
アドベントを迎え、相双地区の5つの教会・伝道所全てに、礼拝の明りが灯る日が来ることを待ち望みたいと思います。
祈りましょう。

「導かれるままに」 2021/4月第4週 説教より

聖書:旧約詩編 86 編 1-10 節(旧約 923 頁)
新約マルコによる福音書 12 章 28-34 節(新約 87 頁)

初めまして、今日は。
この 4 月から、東北教区の小高伝道所と浪江伝道所の代務の務めをいただいた飯島信です。
現在私が牧会している日本基督教団立川教会では、主任担任教師として5年目の務めを終え、6年目を迎えています。
始めに、今日の説教題にも記しましたように、私がなぜ、この地の伝道の働きを負うことを望んだかについて、お話ししたいと思います。
それは、今振り返れば、私にとっては自然な歩みであったように思います。
確かに、この地が、私が仕える場所になることはこれまで考えてもみなかったのですが、コロナ禍の中で導かれた所になりました。
昨年 4 月、イースターを前にして、東京では緊急事態宣言が出されました。すぐに教会員には、通常の礼拝が出来なくなることと、各家庭での礼拝を呼びかけました。
家庭での礼拝を守るためには、遅くとも土曜までに週報と説教原稿が届いている必要があります。逆算すると水曜までにいずれも完成させ、木曜に印刷と発送準備を終え、金曜朝には投函しなければなりません。赴任して 5 年目を迎える牧会生活の中で、これほどの忙しい日々を迎えたのは初めてのことでした。そして、この忙しさは、宣言が解除される 5月末まで続きました。
そうした慌ただしい日々の合間、時折訪れる静寂の中で、ある問いが私に浮かんで来ました。「医療技術を持たない私にとっての医療現場はどこであるのか」との問いです。
コロナの感染拡大が深刻化する中、医療技術者を襲う厳しい日々の様子が刻々と伝えられて来ます。もし、私に医療技術があれば、国境なき医師団に加わり、すぐにでも難民キャンプに行きたいと思いました。しかし、私にはそのような技術はありません。それでは、牧師である私にとっての現場はどこであるのか、このまま、与えられた立川の地での牧会で良いのかと思えて来たのです。
そのような思いが生まれて来た一方、これまでずっと心の片隅で気にかけていたことがありました。それは、3・11の翌年から5年間、私に与えられた仕事との関わりでの事柄です。
私は、2012 年 8 月から、3・11で被災した教会や被災地の復興を支援する日本基督教団救援対策本部担当幹事の職に就いていました。そのこともあり、教団のボランティアセンターのある岩手県釜石市、宮城県仙台市と石巻市を中心に被災地をめぐり、様々な復興プ ログラムに取り組んで来ました。
その取り組みの一つに、被災した教会の再建プログラムがあり、教団に集まった献金はこの支援にも注がれました。支援の内容は、再建に必要な資金に対する給付と貸付に分かれます。そして、私の心の片隅に残り続けていたのは、貸付を受けたものの、返済が困難と思われる教会のことでした。
その一つが、相馬市の鹿島栄光教会です。この教会には、教団から 4,200 万円の支援金が送られていましたが、その半分の 2,100 万円が貸付です。2,100 万円ものお金を数名の教会員でどのように返済出来ると言うのでしょうか。
しかし、2017 年 8 月をもって退任した私に出来ることは、そのことを心の片隅に覚え続けることだけでした。そうした中でコロナ禍が起き、そして耳にしたことは、鹿島栄光教会の牧師先生は召され、ご遺族は郷里に戻り、教会の礼拝は行われていないと言うことでし た。
昨年 8 月の最後の日曜日、私は教会から夏休みをいただき、鹿島栄光教会を訪れました。
外から見ただけですが、会堂も、同じ敷地内の隣りに立つ牧師館も、綺麗に再建されていました。保科先生によれば、代務である中村教会の内藤先生が訪れ、周囲の草を刈っているとのことでしたが、本当に雑草一つありませんでした。
しかし、教会の集会案内の看板には、何も書かれていませんでした。何も書かれていない看板を見た時、思いました。私は、ここに来なければならないのではないかと。
現在私が任を負っている立川教会なら、私の後を引き受けて下さる方は見つかるかも知れません。しかし、教会員が 2 人しかいないこの教会の牧師に手を挙げる方はいないのではないかと思えたからです。
そうした中で秋になり、保科先生から、鹿島栄光ではなく、小高伝道所と浪江伝道所で奉仕する話しをいただきました。
小高伝道所は、一昨年の 8 月に訪れたことがあります。
教会員である佐久間さんが守り続けられ、相双宮城南地区の応援を得て礼拝が再開されたことを聞いていました。
浪江は、教団の幹事時代に訪れました。その時は、会堂の椅子も引っくり返ったままで、全ての時が止まったままでした。
しかし、小高にしても浪江にしても、原発から最も近い教会で、3・11 で被災した象徴とも言える教会です。その教会の復興の任を負うとすれば、それは、この 10 年、被災地で汗を流した先生方が相応しく、私のような者がその務めを負って良いのだろうかとの戸惑 いもありました。
そうした思いもありながら、昨年 11 月、保科先生に案内されて浪江・小高を訪れた後、神様の御心に適うことであれば、この地での伝道の業に従事出来ることを祈り始めたのです。
私がこの地で働ける時間がどれだけになるか、それは神様が決められます。
そのことを覚えながら、希望があります。
小高では、私に許された時間、私の次に来る方のために、佐久間さんと祈りと力を合わせ、より豊かな交わりを生み出せる教会になることです。
浪江では、再び礼拝の明りを灯すことです。
このような希望が与えられていることを心から神様に感謝し、今日与えられた御言葉を見てまいりましょう。
マルコによる福音書第 12 章 28 節からです。
まず、28 節から 31 節です。
28:彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」
29:イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、私たちの神である主は、唯一の主である。
30:心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』
31:第二の掟はこれである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
イエス様は、旧約の申命記第 6 章 4 節と 5 節に記されている御言葉を取り上げ、第一の戒めとし、次にレビ記第 19 章 18 節の御言葉を取り上げ、第二の戒めとします。
第一の戒め、これは、主の日に神様に礼拝を捧げることです。
但し、この御言葉の凄さに私たちは圧倒されます。神様を愛するその愛し方にです。
「イスラエルよ、聞け、私たちの神である主は、唯一の主である。」その後に続くのは、神様を愛するのに「心を尽く」すだけではありません、「精神を尽く」すのです。
そして「心を尽くし、精神を尽くし」、さらに「思いを尽く」すのです。
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くす」、その上になお「力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」と言うのです。
即ち、己の全存在を賭け、全身全霊を尽くして、ただ一人の主なる神様を愛しなさいと言うのです。
たとえ、時が良くても悪くても、いかに辛く、困難な場に身が置かれようとも、我が命が生き永らえる限り、神様を讃美し、神様に感謝の祈りを捧げよと言うのです。
この時、今日示された旧約の御言葉が心に響きます。詩編 86 編 10 節(p923)です。
10:あなたは偉大な神
驚くべき御業を成し遂げられる方
ただあなたひとり、神。
ただ、あなたひとり神。私を造られた方。私に命を与えられた方。
私の全ては、ただあなたの御手の内にある。
詩人の信仰の告白の言葉です。
そして第二の戒めとして、隣人を愛することを命ぜられました。
隣人を愛する。
このことは、隣人と共に歩むことです。
隣人と共に歩む、それはどのようなことでしょうか。
共に歩むとは、隣人が負っているその重荷を、隣人が直面しているその課題を、隣人を襲っているその試練を、共に分かち合うことです。自らも背負うことです。
それが、隣人と共に歩むことであり、隣人に寄り添うことであり、そして隣人を愛することであると思います。
しかし、このことは容易なことではないと思います。
分かち合うそれらが、隣人のものとしてある限り、その荷は重く、課題は困難さを増し、試練は耐え難いものになります。
しかし、分かち合うものが本当に自分のものと出来た時、その荷も、課題も、試練も、友と共にそれを負う力は 2 倍にも 3 倍にもなるのです。そして、明日に向かう勇気と希望が与えられるのです。
32 節から 34 節です。
32:律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。
33:そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」
34:イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。
この律法学者の答えを、イエス様は良しとされました。「あなたは神の国から遠くない」と。
マルコによる福音書を読み通して知らされることがあります。
この箇所では、イエス様の敵対勢力である律法学者の一人が、イエス様によって賞賛されています。
十字架の場面では、イエス様を処刑する兵士たちを率いる百人隊長が、「本当に、この人は神の子だった」(p96)との信仰を告白しています。
さらに、重罪人に関わることを恐れて、誰も引き取り手のいないイエス様の遺体の引き取りを、「勇気をもって」ピラトに願い出たのは、やはり敵対勢力の一人である最高法院の議員のアリマタヤのヨセフでした。
マルコは、これらの人物を登場させることによって、福音は、どのような立場に立つ人であろうとも、たとえ「敵」であったとしても、真実に神の国を待ち望む人には届けられることを記したのです。
私たちに託されている福音宣教の業を、この小高・浪江の地で、ほんの一歩ずつでも、今日、そして明日と、進める者となろうではありませんか。
祈りましょう。